HA'INA IA MAI ANA KA PUANA

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「いじめ」とか「虐待」という言葉は問題の本質を隠蔽する

www.sankei.com

神戸市の教員「いじめ」問題

 

報道を見て

あれは「いじめ」のレベルなのか?

と、思っている人は多いだろう

どう考えても脅迫、強要、暴行のたぐいだ

即逮捕に値する事案だろう

 

「いじめ」もそうだが

「虐待」なんかも

その言葉で本質を隠蔽してしまっている

 

親や再婚相手が子供を虐待しさせる事件は後を絶たないが

いつも「虐待」による傷害致死、保護責任者遺棄致死で

穏便に済ませてしまう

ふざけるなよ

どう考えたって殺人だろ

殺意がなければ何をしてもいいと

宣伝しているようなものではないか

 

学校の平和を守るために

警察が来ることがそんなに嫌なのか?

子供の命を守るために

警察が介入することがそんなに悪いことなのか?

 

甘い言葉を使用することで

犯人や周囲の反応もそれにまやかされてしまう

 

日本人の一部のアホは

言葉を言い換えれば

或いは文字を変えれば

本質が変わると思っている

 

看護婦を看護師と言いかえることで

人権が前進するというような

脳天気な考えの延長線上に

虐待やいじめという言葉を使うことで

明らかな犯罪、暴力、殺人(未遂)を

隠蔽してしまうことを助長しているのだ

 

マスコミは何を恐れているのだ

 

最も典型的な例が

地下鉄サリン「事件」という故障だ

国家転覆を図って

白昼、サリンを噴霧するなどということが

「事件」で済まされるのか

明らかにあれはテロではないか

それを「事件」としたことで

イカれた教祖を持つ集団の先鋭化した輩が

暴発したとして話は終わっている

 

しかし、「事件」では破防法で教団を叩き潰すことはできず

そのテロリストの親分であった教祖を

未だに崇める

イカれた連中を再生産しているのだ

 

言葉は重要だ

 

だから、問題の本質を隠すような

言葉遣いをしてはいけないのだ