HA'INA IA MAI ANA KA PUANA

思うこと、思い出すことを。娘のために、日本のために。

MEMENTO MORI 阪神淡路大震災の殺人鬼・村山富市を絶対に忘れるな

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25年前の1月16日の夕方、神戸市民だった私は阪神高速道路を大阪方面から神戸方面に向かって車を走らせていた。いつもの出口で高速を降りて、山道に入ったところで異変に気付いた。「六甲のおいしい水」と私が呼んでいた山の湧水がある。ポリタンクで汲んで持ち帰ることもあったし、ひどい時にはそこで洗車もしていた。それくらい湧水量が多い湧水だったのだが、その日は全く出ていなかったのだ。枯渇したのか。残念だな。それほど気にしないで山道を登り、その北側にある住宅地にあった5階建てのアパートの一室に帰った。いつものように寝て、次の日もいつものように6時に起きる予定だった。

 17日、ゴーと山が鳴った。その音で目が覚めると、間髪を置かず激しい揺れがきた。最初は小刻みにそして次第に大きく。立てない。動けない。何もできない。布団の上に腹ばいになってじっとしているのがやっとだ。5階建てのアパートの1階でこれだけの揺れなのだ。上階はどんなになっていただろう。

 しかし、揺れが続いている間は、なぜかそれが地震だとは思えなかった。そんな大きな地震があるわけ無いと思っていたからだろう。怪獣がこの建物をつかんで揺さぶっているのか、或いは、北朝鮮が暴発して爆撃をしているのか、という妄想が瞬時に頭をよぎった。

 皿が割れる音がする。ダンスが揺れて、上に置いてあったクーラーボックスが足を直撃した。痛いとは思ったがまだ何もできない。とにかく揺れが収まるのを待つしかなかった。

 感覚的には2~3分揺れていたように思ったが、実際には数十秒に過ぎなかった。大きな地震であったことはようやく理解できた。まだ薄暗い中、車のライトが川を挟んで団地の向こう側にある道路を移動しているのが見えた。私が車で大阪にあった仕事場に出勤するときも、これぐらいの時間には出ていたので、たぶん遠距離通勤の人たちだろう。しかしこの時点で、神戸の街中や阪神間で、破滅的な被害が出ているとは、車を運転していた人も私も、知る由はなかった。

 揺れが収まった後、私はまず状況把握をしようと思った。とにかく落ち着こう。そう思った私が最初にしようと思ったことは、コーヒーを飲もうということだった。私はぐちゃぐちゃになった台所に向かい、ガスコンロに火を使たのだった。

 一番してはいけないことの一つだ。

 私は気が動転しているわけではなかったが、落ち着いてコンロに火をつけたのだ。ガスはまだ止まっていなかった(まもなく使えなくなったが)、幸いにして爆発はしなかった。電気もすぐに復旧したし、水は赤い水がしばらく出たが、断水はなかったように記憶している。ただこれは幸運だっただけで、同じ団地の隣の棟ではライフラインは全部だめだったらしい。もちろん、電話は通じなかったし、電車は動かなかった。携帯電話はまだ持っていなかったので、私の安否は不明になった。

 私が仕事に行けたのは地震から4日目のことだった。いつもは90分ぐらいで行けたのだが、その日は4時間かかった。同僚に無事だけを伝えただけで、すぐに帰り支度をしたような記憶がある。

 あれから25年が経った。そのあとで東日本大震災があり、様々な災害が起こる中で、もう阪神淡路大震災は歴史に埋もれてしまったかのようだ。

 しかし絶対に忘れてはいけないのは、あの男のことだ。

 村山富市

 当時首相だった村山は、当然第一報に叩き起こされた。しかし、彼は二度寝したらしいのだ。そして午前中に予定されていた会合をキャンセルせずにこなした(この経緯については『諸君!』が詳しい)。自衛隊は出動命令を待って待機していた。しかし、村山は躊躇した。その間に、6000人以上の人が亡くなっていったのだ。

 村山は反日左翼だ。そして、自民党に担ぎ上げられたから渋々認めたが、自衛隊などいらないと思っていたのだ。だから村山は、首相でありながら国民の命と引き換えに、自分の思想信条を優先させたのだ。その村山がのうのうと生き続け、無辜の市民がクリしみながら死んでいったのだ。こんな理不尽なことがあってよいのか。

 自民党自民党だ。無責任にも自社さ連立政権を安定させるために、第一党の党首でなかった村山を祭り上げた。だから、村山を批判することはできないでいるのだ。そればかりか、民主党政権の震災対応を批判する文脈で、村山を讃えさえしたのだ。

 そう、東日本大震災の時は、暗愚の宰相・菅直人だった。日本一の無責任男。なぜ、震災のときに反日左翼が政権を握っていたのだろう。これは最大の不幸だ。有事には口ばっかりの素人政治は機能しないということがよくわかる。それを学ぶために、一体何人の人が犠牲にならねばならなかったのか。涙が止まらない。

 私は被災者の末席を汚す者として、絶対に村山富市を許さない。そして、阪神淡路大震災を風化させたいためにも、村山を批判し続ける。

 すべての震災の被災者に合掌。